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人が、かつていたところ ──エデンへ ……

中国が友人になる日

 
 


日本、アメリカ、中国の、二等辺三角形論なる主張をされた方がいた。
これは、経済的観点からしか、世界を見ていないからである。
 
大国とは言え、アメリカと中国とは当然ながら、まったく違う国である。
世界のそれぞれの国には、それぞれの建国の理念というものがある。
アメリカには、キリスト教が根付いていて、それを起点として、彼らは自由主義や、世界の民主化を標榜する。やたら、人権という言葉にうるさいのはそのせいだ。
神は、すべての人類を等しく愛するはずだからである。
そのため、アメリカ人は自己の欲望と、どう折り合いをつけるかで、いつも悩んでいるのである。

中国は、唯物論によって、神を葬って国である。
彼らにとっては、見えない神の意志を忖度するより、国を代表する人間の考えを示すことの方が、はるかに合理的なのである。
彼らは一番になることを目標としたなら、手段を選ばず、自己中心主義に突っ走ることができる。したがって、人権という都合の悪い言葉が大嫌いなのである。

どんな時代であっても、どんな個人、どんな国家であっても、変わることのない絶対的価値観というものがあるとしたら、神というものを肯定的に捉えたもの以外には見つからないだろう。それが唯一、我々が自己中心に陥ろうとするのを、食い止めてくれるものだからだ。
 
中国人が、知的所有権を理解しなかったり、偽物のアップル ストア をまるごと作ってしまうような パクリ ビジネスを平気でするのを見て、そんな彼らを生命力に溢れ、たくましい人達だという人がいる。しかし、それでは本質を見逃してはいないだろうか?
国には崇高な大義はなく、社会には弱い者をいたわる慈悲がなく、生き抜くためには、他人を出し抜くしかない。これでは、彼らは自己中心の位置にしか立てない。つまり、彼らに絶対的価値観というものの欠片もないからに他ならない。
モラルというものは単独で生じるものではなく、価値観の基板の上に立つものだからだ。

ところが、さいわいなことに日本にはそれがある。
それは、非常に曖昧に表現されてきた。
お天道様が見ている、世間様に笑われる、そんなふうに言われながら、我々は自己中心になるのを辛うじて、正されてきたのだ。

中国の特権主義的な利権構造の闇は、一党独裁という原因から始まったのではない。その根底にある信教の自由の破壊からと見るべきなのである。

 
はっきり、結論を述べよう。
神を恐れない者を信じてはならない!

アメリカと友人になっても、中国とは、なってはいけない。
友人となるための条件を、はっきりと示すなら── わたしなら、信教の自由を認めなさい! と、たった一言で足りる。 それは、共産党の指導のもとの自由というマヤカシではない。
そして、チベットのような宗教国家から手を放すように願う。

 
わたしにとって、
それが、中国が信じられる友人になる日に、起こる事なのだ。
 
そして、その日は必ず来る。



 店舗まるごと偽物の「偽アップルストア」、中国に出現