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人が、かつていたところ ──エデンへ ……

天空の鏡


STYLE4 Design という、とても気に入っているブログがある。

そのブログの記事、
 
“ まさに天と地が繋がっている鏡の国。神秘的なウユニ塩湖 - uyuni - ”

そこに掲載された画像に、眼も心も奪われ ── すかっり、ウユニ の虜になってしまった。

ここからは、STYLE4 Design さん の 記事の文をそっくり転載させていただくことにする。



最近ネットでとにかく話題とされることの多いこの場所。
世界で最も平らな場所とされるボリビアにある塩の大地。
学術的には塩原だそうですが、一般的には塩湖と呼ばれるそうです。
雨期には雨により冠水し波も立たないほど薄く広がり「天空の鏡」と形容される巨大な鏡になるようです。
塩原の中程には、観光客用に壁もテーブルもベッドも全てが塩で作ったホテルが建てられています。
異世界のような信じられないほど素敵な場所であることは間違いなさそうです。
行ってみたい!



今年の夏も、リアルな旅ができないわたしに、 バーチャルとは言え、最上の旅をプレゼントしていただいて、感謝である。


  
Uyuni by Yuri Takagi - Vimeo (動画)  http://vimeo.com/39685932

Accu Radio の Smooth Vocals が、イケル!


Accu RadioSmooth Vocals が、なかなか イケル!


Accu Radio →  R&B / Hip-Hop → Smooth jazz で、

上に載せた画像のページが表示される。 
 
その一番下の左が、“ Smooth Vocals ” だ。
 

Accu Radio には、カテゴリーが、細かく、たくさん設けてあり、自分好みの音楽を探せる インターネット ラジオ だとは知っていた。
だが、音質がイマイチ満足できないのと、欧米人の選曲センスの限界線が理由で、今まであまり聴くことがなかった。
 
コンテンポラリー・クラシック・ステーション OTTVA を聴かない時は、たいてい Smooth Jazz を SNS スタイル のラジオ “ Jango ” で聴くことが多い。
だが近頃は、1時間も聞けば、たいてい飽きてしまう。選曲がわたしたち日本人の好みに微妙に合わないからだ。

ところが、Accu Radio の Smooth Vocals は、違う!
まるで、日本人が選曲しているように思えてくるのだ。
それはつまり、選曲者が、洋楽好きの日本人が どんな音楽を聴きながら育ったかを知っているような ── そんな選曲なのだ。
 

まあ、わたしの個人的な思い込みに、過ぎないかもしれないのだが……

テレキャスター が スキ!

  


Fender のギターといったら、たいていの ギターキッズ は、ストラトキャスター を思い浮かべるだろう。

だが、スプリングスティーン のファンと、女性たちは、テレキャスター を支持するはずだ!

わたしはというと、テレキャスター の方を好む。

その輪郭、フォルムが好きなのだ!
なんといっても、突き出した先端のない、まあるいデザインがいい。


そして、ボディー の色は、明るい色が合う。
もちろん、ナチュラルな木目、指板仕様の贅沢なものが一番美しいのだが、それ以外では、アークティック ホワイト が、おすすめだ!

実は、今年の初め、その色をした Squier のテレキャスター をネットで買った。
最も安価なものが、その色だったからだ。

ところが、この色がいいのだ!
  

Squire の 現在の Affinity Series に、もうこの色はない。 もう、製造されていないということだろう。 売り切れれば、姿を消すことになる。
そう思うと、嬉しくなる。 わたしが美しいと感じるものが、希少価値を持つのだから……

 
そして、Squier の テレキャスター が 美しいと思う一番の理由は、ヘッドと、ネック、指板に、白木を使っていることだ。 おそらく、コストをおさえるために、Fender の指板に使用しているような、メイプル や ローズ が使えなかったからではないかと思われる。

しかし、その結果、わたしにとっては、言いようもなく美しいギターが誕生した。

テレキャスター 独特のほっそりした ヘッド と、ネック、指板が、白木によって一体となったデザインは、めちゃくちゃに キュート である!
 


初めてギターを手にしたのは、14歳の時だった。 ギャンソン という名のサンバースト の レスポールモデル だった。
残念なことに19歳の頃から、ギターを弾くことも、ほとんど なくなってしまっていた。

それを昨年、一念発起して、今度はベーシストを目指して、わたしの音楽を再開した。


ベースは、音に、こだわるつもりだ!
 
だが、ギター は できれば、美しければいいということに、させていただきたい……





Squier by Fender http://www.fender.jp/squier/

Classic Vibe Precision Bass®'50s

  


Classic Vibe Precision Bass®'50s とは、Squier 製のベースの名である。

独特の形をした ピックガード のついた、この ベースが 、 現在 メインで愛用しているベースだ。
 
 50s とは、1950年代に Fender が製造していたプレシジョンベースを手本にして造られたからのようだ。


今年の3月にこの楽器が届いてから、気の毒にも、バイオリンベースは出る幕を完全に失ってしまった。

これを手に入れる少し前に遡った1月のこと、なんでもいいから、とにかく ギターも1本欲しいと、あちこち探し回っていた。 ベースでは作曲できないというのが、主な言い訳だった。(もちろん、いまだ一曲もできていないが……)
その時、購入したのだが、Squier のテレキャスター で、それが、Squier との初めての出会いとなった。

Squier は、分かりやすくに言えば── Fender に、のれん分けしてもらった会社で、Fender から技術提供を受け、中国で低価格帯の楽器を製造しているようだ。
 
まあ、とにかく、安い! 
楽器の価格の大半を占めるのは、熟練職人の手間賃なのかもしれないと、そう感じさせるぐらいに安い! 同じぐらいのクラスと思われる製品が、Fender の半値以下で販売されている。 
そのためか、楽器本体にも、カタログにも、“Squier” の文字のとなりには、必ず、“by Fender” と添え書きされている。 そうやって、品質に対する信頼性を高めようとしているのかもしれない。



さて、なにが理由で、バイオリンベースは出番を失ってしまったのか?

── それは、ロングスケールでもあり、ある意味仕方のない事だが、Squier の伸びやかな音である!
 
15W の小さな練習用のアンプを通してでも、歴然としている。
 
 



 Squier by Fender http://www.fender.jp/squier/
 

デジタルアンプ って、なに ?


フェンダー・デジタル・ベースアンプ Bronco 40

これが、目下のところ、わたしの欲しくてならないものである。


デジタル アンプ ── 最近知った言葉である。
 
フェンダー の オフィシャルサイトには、ベースアンプ Bronco 40について、『 8種類のアンプを精密にモデリング 』と書かれている。 これ一台あれば、8台の有名ブランドのアンプを持っていることになる、ということだろう。 気分に合わせて、スイッチ一つで、アンプを取り替えることができるって寸法である。


その他にも、盛りだくさん! 
 
12種のエフェクターを標準装備。 AUX インプットにMP3プレイヤーなどをつないで、好きな音源とジャムセッション。 もちろん、チューナーも内蔵。
USBでパソコンに接続し、付属の専用ソフトFender FUSEを起動すると、なにやら、いろんなことが出来てしまう、らしい……




そして、価格がなんと──
山野楽器の店頭でも、30,000円 を切っている!
ほ、ほ、ほしい…… !


 Bronco™ 40 http://www.fender.jp/products/detail.php?pid=1921

まず自分自身が変わること

 


20012年、今年は、世界の主要な国々の指導者が選挙によって交替することから、世界が大きく変わるだろうと言われてきた。
はたして、どう変わることになるのだろう?


一国平和主義、一国繁栄主義は、気がつくと、20世紀で終わりを迎えていた。
地球を丸ごと失ってまで、優先しなければならない一国のみの価値などないことを、我々の良心は知っているからだ。
 
サプライチェーンという言葉が象徴する、工業製品が一国の工業技術のみで完成することができないことと同じように、平和も繁栄も、一国のみで完結することが不可能な時代を迎えているのを── 昨年は、世界中の人々が実感したのではないだろうか?

我々は、みな道に迷い、道を探している。
その探し方がまちまちで、どの道を選ぶべきか決めるにあったて、互いに批判し合い対立しては、分裂を繰り返してきた。敵対、分裂は、自己中心の位置を、それぞれが離れることができないために起こるものである。
 
それと同じ道理で、世界中の国々が一国中心の考えを捨てない限り、たとえ我々、一人々々が正しい方向を知っていたとしても、この地球の行く道を正しく定めることはできない。
 
近年、地球環境は悪化の一途を辿ってきた。いよいよそれは限界を迎えようとしている。
この危機を回避できる唯一の方法は、世界政府の樹立によって、世界中が一つの環境改善策の基準を共有する以外に、残念だがありえないだろう。
はたして、地球はいつまで持ち堪えてくれるのだろうか?

欧州連合(EU) は、世界政府の可能性を示唆してくれる壮大の実験である。
EUの直面している問題は彼らだけの問題ではなく、世界の統合に黄色信号を灯すものになっている。なんとしても、現在の危機を克服してもらいたい!
そして、アジアも統合を目指して早急に動かなければならないはずである。


どうか、経済連携協定を論じる時、国益国益と、大声を上げないでいただきたい。
もしも全世界が参加する自由貿易交渉が最後に待っているとして、それが世界統合に必要なものだとしたら、それ以前のものは、すべてその通過点に過ぎないということになる。避けて通ることは、時代の要請に逆らうことになるのではないだろうか?
 
それぞれの国の立場から国益を守ることよりも、協定によって大きな痛手を被る国や人々が出たなら、どうやって全体でそんな弱者を支えるか、その方法も交渉と同時に決めようと主張していただきたい。
現にヨーロッパではそのように、それぞれの国益を超えなければならない大変な苦しみを味わっているではないか。


政治の究極的目的は、世界の国々の統合である。
なぜなら、世界が一致して環境問題に取り組まなければ、地球環境が、もう長くは持たないからだ!
そして、世界の貧困問題、食糧問題の解決もそれ以外にない!
世界各国の安全保障の問題を単純化し、軽量化して生じる資金がどれほど膨大なものになるかを想像してみるべきである。


そのためには、対立と分裂ではなく、協調と統合を望むことから始めるべきではないか!
自己中心から逃れて、一つとなることを目指さなければならない。
 
悲観的に物事を見つめ、身の回りのさまざまなものを批判ばかりしている自分自身がまず、変わりたいと願うべきだ。
 
そして多くの人がそうできたなら、
国もそうできるようになり、
世界もそうなることができるようになるのだから。

イエスの革命

 


旧約聖書の中で最も多く、神から話しかけられたり、命令を下されたりした人物と言えば、それはモーセ であろう。
 
映画ベンハーで主演をした、あのチャールトン・ヘストンが、もう一本の大作 “十戒” で演じた旧約聖書中の最大のスーパー・スターが、まさしく “モーセ” である。(チャールトン・ヘストンのファンの一人として個人的には、彼に猿の惑星のテーラーになってほしくなかったのだが……)
旧約聖書の最初の五書を、モーセ五書と呼ぶことからも分かるが、モーセが人類歴史に与えた影響は計り知れない。
 
出エジプト記の第三章で、モーセは初めて神と出会っている。神の山ホレブを訪れた時のことだ。柴が燃えているのになくならないという怪現象を目撃し、それを見定めようとした時、その燃える柴の中から神の声がして、モーセを呼ぶ。その時の神は、自らを名乗って、こう言っている。「わたしは、有って有る者」
有って有る者、これが神の正式な名前ということになる。


ユダヤ教徒のみならず、キリスト教徒の多くが、モーセが神からこの十戒を賜ることができなければ、人類は悪を公正に裁くことが未だにできなかったかもしれないと考えているだろう。
では、その十戒とはなんだろう? それはたぶん神が、人間に「あなたの良心に従って、正しく生きなさい」と言っても、思い通りの効果が得られないと思ったから、必要となったのだろう。十戒とは、分かりやすいのを掻い摘んで十項目、石に刻んで、モーセに山の上まで受け取りに来させた、人生のルールブックである。
 
しかし、今日の我々にとって、それは神に対するイメージを著しく悪くするような代物でしかない。
目には目、歯には歯、傷には傷、やけどにはやけど、命には命で、殴ったことには殴ることで返せという復讐に満ちた律法主義。
偶像を極度に憎み、自分以外の他の神に仕えるならば激しく嫉妬する恐ろしい神。
これでは、神は紛れもない独裁者になってしまう。
前に述べたように、人間との父子関係を築くことなど到底望めないだろう。


人間の心にはやはりレベルがある。そして、教育は、そのレベルに合わせて行わなければならない。小学生に対して、大学生に施すような主体性を重んじた自由闊達な教育ができないように、モーセの時代には恐怖心を利用してでも、教えたいことがあったのだ。
 
我々に十戒が合わないのは無理もないことである。なぜならイエスの生誕以後、人類の思想的な常識が根底から変貌してしまったからだ。
イエスが人類歴史上初めて、神と人との父子関係の秘密を明かしたのだ。イエスこそが、神を父と呼んだ最初の人だった。それは、サタンが神と人間とを引き離すため築き上げた巨大な壁を打ち砕くような、まさに革命的な出来事だったのだ。
イエスの革命後に生まれた我々は、そのことを知ろうが知るまいが、その思想を根底に持つ社会の一員として、だれもがその恩恵にあずかっている。
 
つまり我々は、奴隷のように神に仕えなくてもいいし、
たとえ、神を無視したり、無神論を唱えても、けして滅ぼされたりはしないと知っているのである。