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人が、かつていたところ ──エデンへ ……

国家の公金とはなにか?


福島原発の事故の問題の解決を困難にしているのは── 東電の側にも、地震津波という天災の被害者としての意識があったということではないだろうか?
なぜ自分たちだけが悪者扱いされなければならないのかという思いがあって、それが心を頑なにさせ、いっそう傲慢な行動に走らせているように見える。

いったい、どうしてこのような事になってしまったのだろう?
それは間違いなく、彼らが独占企業のたどる宿命的な道を歩んできたからだ。
彼ら── とは、一部の官僚と政治家も含まれると考えるべきかも知れない。
「日本のエネルギー政策は、我々が決める! 」 彼らは、そう豪語したはずだ。「国民は無知だから、賢者である我々が全てを定める!」こうも、言ったに違いない。

彼らにとって、電力料金を自分で決められるということは、魔法の杖を手にしたも同然だったであろう。
官僚、政治家、協力企業、メディア、すべて取り込み、彼らの障害となる問題をすべて取り除く資金も、その杖さえあれば簡単に手に入れることができたのだ。
 
民間という形をした国家的企業は、極めて公共的な立場にありながら、すべてを私物化しても、なんの違和感も与えなかった。
その結果、国民のお金をどれほど無駄に使ったのか見当もつかない。
それは、すべての国民を等しく幸福にするための資金や財産を、勝手に分配したことにはならないだろうか?
 
たとえ民間企業であったとしても、電力のような、だれもが使わざるを得ない公共性の高い事業を独占する立場の者に、勝手に値段を決めさせてはいけなかったのである。
 
 
国家の公金とはいったい、なんであろう?
民間企業には、まったく関係のないことなのだろうか? 
 
神の目から見れば、民間も公共も区別はない。すべての者が社会に責任を負わなければならないからだ。
究極の公的立場にいる神が目をとめるのは、動機だけである。
 
たとえ、どんなに膨大な金品が使われても、動機が社会のためであったなら、許さざるを得ない。
逆に、どんなに抜け目なく上手に使われても、動機が自己中心であったなら── それは、もはや公金横領以外のなにものでもないのだ。
 

そのようにして、悪魔と契約を交わし、破局へと転がり落ちていったのだと思えてならない……