GET BACK !

人が、かつていたところ ──エデンへ ……

神はなぜ世界を創造したのか?

 
 

前の記事に書いたことについてだが、後にサタンとなる天使ルシファーに強大な力を、なぜ神は与えなければならなかったのか疑問が残る。
神なら、その危険性について、まったく知らなかったわけはないはずだ……

ともあれ、天使界は神にとって必要だったに違いない。旧約聖書、創世記第一章26節に『われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り……』とあるのは、神が二人以上いなければ、不自然な記述だ。このことから、天使が人間の創造に深く関わっていたこという聖書研究者がいる。われわれという複数形は、天使も含めて、そう言ったと解釈できるからだ。


神はなぜ世界(宇宙)を創造したのだろう?
 
この疑問を解くためには、神を我々人間とまったくかけ離れた、手の届かない崇高な存在として、とらえすぎないことだ。無理にでも神の位置まで登るか、自分のレベルまで神を引きおろさなければならない。
つまり、自分がもしも神だったら、というところから始めなければならない。
ここからは、おとぎ話でもするような調子にならざるをえないのだが、勘弁していただきたい。


天地創造以前の神は、ひどく孤独だった。
暗闇の中に、ぽつんと、ただ一人でいたからだ。
心も空っぽだった。どうにかそれを満たしたいと、いつも思っていた。
だが、神は途方もない力を持っていた。頭の中でイメージしたものを、そっくりそのまま、形あるものに変えてしまえるのだ。
神の頭の中には、とどまることなく、さまざまなアイデアが次々とあふれ出していた。それは、宇宙を設計するデザイナーとしての神の出発だった。
神の創造への期待と興奮は次第に高まり、やがて頂点に達しようとしていた。しかし、気軽に創造を開始することはできなかった。なぜなら神は、宇宙の中心に絶対者として存在することになるため、一度創造を始めたなら、失敗したからといって、途中で中断したり、すでに創造したものを壊したり、適当に変更したりすることができなっかたのだ……
その道理が、反逆者となった悪の天使を簡単に排除できなかった理由にほかならない。


少年だったころ、わたしは、神などいないと思った。
もしも、いるとしたら、宇宙に君臨する独裁者に違いないと思った。
だが、我々が、幸福になることを望むなら、神もやはり幸福になることを間違いなくの望むはずだ。独裁者の人生が幸福でないことくらい、神が知らないはずはない。

我々は、だれも一人では生きていけない。
愛がほしいと願う。
神も孤独は好きではない。
神だって愛がほしいと願う。



 

キリスト教の教えの中で、特筆するべきものを一つだけあげるとしたら、神を父と呼んだことである。
それが、すべてだと言っていい!
神が、ほんとうにほしかったのは、家族ではないだろうか?
もしも、我々にとって家族が必要不可欠なものであるなら、神にだって、家族が必要であり、宇宙の創造に際して、いつまでも一人でいる計画を立てるわけがない。
それが、『われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り……』から、導きだされる結論である。

神を父と呼び慕う存在を、地上に誕生させることを目的に、気の遠くなるような膨大な時間と手間をかけて、すべての創造を始めたのではないだろうか?