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人が、かつていたところ ──エデンへ ……

最高指導者を立てよ!

 
セブン・イヤーズ・イン・チベット という、映画を観たことがあるだろうか? この映画がわたしに与えた衝撃は、けして小さなものではなかった。
 
ハインリッヒ・ハラー が 、七年間をすごした1940年代のチベットは、まだれっきとした独立国家だった。彼らの社会はチベット仏教によって統一され、ダライ・ラマを中心に国民は完全に一つとなっていた。
欧米先進国から見れば、電気もない、映画館のような娯楽施設もない、不自由この上ない社会だった。しかし、人間関係と人生に思い悩んでいた ハラー にとって、そこは ユートピア に見えたのだった。
 
とても印象に残るシーンに、こんなものがあった ── 映画館の建築を依頼された ハラー を大いに困らせたのは、地面を掘り起こすと大量に出てくる ミミズ だった。作業員が、自分たちの親の生まれ変わりかもしれない生き物を、一匹たりとも殺さないように作業しようとするため、まったく作業がはかどらないのだ。
元来チベットは、民主主義とは程遠い、宗教国家だった。輪廻転生を信じるこの国では、最高指導者の ダライ・ラマ と、二番目の指導者のパンチェン・ラマが、互いの没後、互いの転生者を探し出し認定することによって、揺るがない指導者を立て、権力闘争や無益な争いを排し、平和共存的な社会を築いてきたのだ。

指導者は幼少時に決められるため、国中の人々の祈りと尊敬を受け、教育係も心血を注いで、最高の人格を備えるように育て上げられるのである。
輪廻転生が真理であるかが、問題なのではない。このような揺るがない国民の信仰が、重要なのである。
あなたは、わが国民を幸福に導く尊い方ですと、完全なる公的な位置に立たされ、国民すべての願いと祈りを一身に受けて育った者が、悪い者になるようなことは、けしてない。
このような、かつてのチベットに想いを馳せていると、なにかを思い起こさせないだろうか? そうだ、我が国は、ダライ・ラマ に匹敵する存在がいる世界でも稀な国なのである。残念なことに、だれもがそのことを忘れ去ってしまったのだが……
 
小説や コミックの サクセスストーリー に感化され、おれは必ず国のトップになってやる── そんな利己的な政治的リーダーが、最高指導者になるようなことは、けして、ないだろう。
人間に心と体があるように、体にあたる政治的リーダーと、心にあたる宗教的リーダーの、両面のリーダーがともに必要なのである。
我が国の最大の弱点は、国家の最高指導者が、不在であるということである!

日本人は、長らく宗教というものを嫌ってきた。この得体の知れないものは、奇妙な利権と権力を産むからだ。
だが、21世紀には、21世紀の宗教観を立てるべきではないだろうか?
チベット型の社会が、世界最高レベルの、科学技術と、経済力を、持つことはあり得ないことなのだろうか?