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人が、かつていたところ ──エデンへ ……

武士道とは?

 
  
 

映画 “ラスト サムライ” は、なにを言いたかったのだろう?
あの映画を見て、武士道について関心を持った外国人に、武士道とはなにかと質問されたなら、どう答えればいいのだろう?
そんな時は、当然この言葉を教えるべきだろう。

『武士道とは死ぬことと見つけたり』
 
あまりに有名なフレーズだが、まったく意味の分からない言葉でもある。文字どうり解釈すれば──刀を常に携帯している武士はたいへん危険な職業であるため、死ぬことを恐れていては勤まらない──と、いうことにでもなるだろうか。
そんなアホなことを言いたくなければ、もっと深く読み解かなければならない。

武士道とは、自己否定の道である。

自分のために生きてはならないのだ!
──これが、私たち日本人が美徳としてきた精神の根本原理である。
この武士道を信じる者は、主君がどんなに愚かな殿様であっても、主君というその位置に対して仕えるのだ。
 
これはまったく、私たちには理解しがたく、困難な道である。なぜなら民主主義が、彼らが命懸けで守った主君の位置を、だれでも簡単に取って代われる、薄っぺらで軽いものに変えてしまったからだ。
そのため、私たちのこの国では、指導者がこんなにも蔑まれていて、はたしていいのだろうかと、心が寒くなるような今日を迎えている。
 
今のこの社会は、なにかが違うと感じるのは、私だけだろうか?
私たちの体の中にある、美しい旋律と、リズムのような、社会秩序の感覚は、もう簡単に思い出せない、遠い幻のような思い出になってしまったのか……
もう取り戻すことは、叶わないのだろうか?
 
時計の針を逆まわしにしたいと、願うのではない。
なぜなら、サムライが、けして幸福であったとは限らない。
許しのない封建社会でもなく、独裁者の圧政からも決別した、忠孝の精神を底辺に持つ新世界を創ることはできないのだろうか?